小川三知を讃える会

明治・大正・ 昭和初期に活躍した日本におけるステンドグラス作家の草分け
『小川三知』(おがわ さんち)の作品を鑑賞して楽しむこと、またその作品についての調査、研究、保存、展示活動を行い
小川三知の作品と名前を100年後に伝えていくことを目的とした会です。

小川 三知 (おがわさんち)

1867(慶応3)〜1928(昭和3)

 
1867(慶応3)年 ※1 5月29日、静岡県静岡市呉服町5丁目に駿府藩医小川清齋の次男として生まれる。その後父が建てた博愛堂医院のある裏一番町(現住吉町)で育つ。 静岡市濠頭学校、静岡中学校を経て、1887(明治15)年第一高等中学校独予科三級(現東京大学)に入学、退学。
1890(明治23)年、東京美術学校※2(現東京藝術大学)に入学。日本画を学ぶ。
卒業後、山梨尋常中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)、神戸御影師範学校(現神戸大学)で教鞭をとる。
1900(明治33)年、米国へ渡航しシカゴ美術院に入学。日本画教師をしながら装飾美術科で学ぶ。1903(明治34)年、静岡県漆器業者の推薦により農商務省実業研究生となり、4年間、輸出漆器のデザインの研究を委嘱される。
1904(明治37)年、米国セントルイス市での万国博覧会にて、日本政府の日本工芸館の仕事に従事する。
1905(明治38)年、アーティスティック・グラス・ペインティング社に見習工として入社し、ステンドグラス制作の修業を開始する。その後、ディトン市ディトン美術硝子工場、オハイオ州コロンバス市フォン・ゲレヒテン美術硝子工場、ニューヨーク市ピッツバーグ板硝子会社、ゴーラム製作会社、ピッツバーグ市ウィレットスタジオ、セントルイス市カンジニール会社などでステンドグラス製作を取得する。
1911(明治44)年、帰国。東京に居を構えて、工房「小川スツジオ(スタジオ)」と創設し、日本各地の建築物にステンドグラスを製作した。
1928(昭和3)年10月24日没。
 
 
※1 慶応3年生まれの著名人:夏目漱石(小説家)、森鴎外(小説家)、正岡子規(歌人)など
※2 東京美術学校の同窓生:横山大観、菱田春草、下村観山(日本画)、板谷波山(陶芸)など